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願わくばこの手に幸福を 作者:ショーン田中

第七章『騒乱ベルフェイン編』

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第百四十八話『鉄鋼姫とかつての忠臣』

 ベルフェイン領主モルドー=ゴーンの側近、トルガ。


 青年期よりモルドーに仕え、性格が素直すぎると評されながらも、実直な仕事ぶりをモルドーに見いだされ、側近にまでその地位を高めた。いいやむしろ、その素直且つ実直な性質があったからこそ、モルドーの側近となれたのだと、トルガは理解している。


 トルガの主モルドーは、領主相応の疑り深さを胸に宿している。それは人間性の問題というよりも、むしろ人の上に立つものとしては当然に持ちうる要素のようなもの。特に、モルドーのような成り上がり者といって過言がない人間は、自らの胸に宿る疑念の種との付き合い方を心得ていない。貴族であれば幼少から備えているその技能を持ち得ていないのだ。


 だからこそ、モルドーはトルガを側近とした。そうしてトルガ自身も、己が主に求められているものをよくよく理解していたし、それに素直に真っ直ぐ道を進む以外、彼は生き方を知らなかった。それゆえトルガは常に、主の求めに答え続けた。


 その結果、トルガは家臣の中でも随一といってよいほどの信頼を勝ち取り、主の愛娘である鉄鋼姫ヴェスタリヌの目付け役にも任じられている。


 そうして、今回この任を与えられたのも、その信頼ゆえだと、トルガは受け止めていた。任務の内容は騎士階級、カリア=バードニックの護衛且つ監視。


 恐らくは、何もないだろう。何か行動を起こすとは、早々考えられない。だが、万が一。万が一何か悍ましい謀略をその胸に宿していることを考えれば、監視をすべきだ。そう、主に告げられてトルガは今此処にいる。

 多少変わり種ではあるものの、今回も、真っ直ぐにその任務をこなせばよいだけ、与えられた役割に沿って動けばよいだけだと、そう思っていた。


 だが今、彼の胸中は、かつてないほどに揺さぶられているといって過言がない。その原因は、トルガが率いる私兵とまるで対立するかの如く街道を覆っている傭兵の群れ。傭兵の主は、紛れもないベルフェインの鉄鋼姫、ヴェスタリヌ。


「トルガ……丁度良いところに。貴方にも、聞きたいことがありました」


 子飼いの傭兵を引き連れ、街道を進む鉄鋼姫。それ自体は、よくある光景でもある。トルガが何か思い悩むようなことは、ない。


 問題はその瞳だ。


 何時もであれば、トルガに対して親しみや、それに近しい感情を見せる大きな瞳。それが今は、酷薄な表情を浮かべてすらいる。まるで何一つ、信じることは出来ぬとでもいうように。トルガはその瞳を、そこに潜む色を見たことがある。他でもない、己の主モルドーが見せる瞳の色だ。誰かを、何かを心の底から疑う時の瞳色そのもの。


 その疑念の瞳が、今、己に向けられている。トルガはその事実が、一体何を意味しているのか、ぼんやりとつかみかけていた。トルガは唇をゆっくり動かしながら、私に答えられることであれば、と、そうつぶやくように言った。


 トルガの後ろに控える私兵たちが、不思議そうに二人のやり取りを見つめている。


「私の母……いえ、私の父母について、貴方の知る全てを、聞きたい」


 その言葉を聞いた、瞬間。トルガは顔に刻まれ始めた皺を、僅かに、深めた。


 ◇◆◇◆


「……ヴェスタリヌ様。家内の事となれば、私如きに答えられることは、ございません」


 申し訳ありませんと、深く頭を下げるトルガに視線をやりながらも、ヴェスタリヌはそれに大した反応を返そうとはしなかった。


 何故なら、全てを知っていたとしても、知らなかったとしても、トルガの口からこぼれ出る答えは同じだろうから。何処までも実直な彼が、その主人を裏切れるはずがない。しかしかといって、嘘をつくこともできない。


 ゆえに先ほどの問いかけは、己の意志を、今何のために此処にいるのかという事を、相手に伝えるためだけのもの。その問い自体に、大した意味はないのだ。


「では、退きなさい。私は此れから領主館へと帰還します。貴方は貴方の任を果たすように」


 それは、もはや別離の言葉に等しい響きを纏っていた。長年、自らの傍らにて己を支えた忠臣トルガへの、別れの言葉。彼が、己に対する全てを知りえていたのかはやはりわからない。もし知りえていたのだとすると、やはり胸にはどろどろとした感情が満たされていく。


 だが、それでも、多少の情は残るというものだ。ならば、別れの言葉くらいは許されよう。


 敢えて、傲慢に。敢えて、押し付けるように。それくらいが私には丁度良い。私兵を率いている所を見ると、何等かの任務をモルドーより与えられているに違いなく、彼が此処で留まる意味もないだろう。


 そう、もう用はないというかのように、一歩を踏み出したヴェスタリヌの耳に、聞きなれた、最近僅かに老いを感じさせるようになった声が、響く。


「……出来ません。ヴェスタリヌ様、今の貴方をお通しする事は、私には出来かねる」


 その言葉を己の中でかみ砕くのに、ヴェスタリヌは少々の時間を要した。それは余りにも想定外の答えで、今まで己の言葉を優しく窘めることはあれど、拒絶をするなどという選択を、トルガが取ったことはない。何処までも、真っすぐな忠誠を見せる、そんな男だった。ゆえに、その答えは何処までも、想定の外にあって。


 言葉に動揺したのは、どうやらヴェスタリヌだけでもないらしい。トルガに仕える私兵達も、僅かながら目に動揺を浮かべ、その真意を問うようにトルガへと視線を向けた。


 一瞬の、空白。誰もが次の動きを決めかねるかのような間が、あった。


「ヴェスタリヌ様。貴方は、モルドー様に何を、お聞きになるおつもりですか」


 言葉を選ぶように、慎重に放たれたトルガの言葉。


「全てを。私に関わる全ての事を。それが答えられぬ時は——」


 ヴェスタリヌの応答は、荒々しいと言って過言がない。言葉はささくれだったかのように棘が植えつけられ、瞳には敵意が漲っているのがわかる。ヴェスタリヌは今、己の精神が酷く均衡を欠いている事を、自認していた。


 恐らく、未だに私が正気を保てているのは、傍らで己を支えてくれる姉様がいてくれるからこそだろう。一瞬、何かを求めるようにヴェスタリヌの瞳が傾く。その先では、姉様が微笑を湛えて、こちらを見つめていてくれた。


 ああ、姉様の境遇を思えば、どうして私如きが狂い、取り乱すようなことができようか。今、ヴェスタリヌを支えているのはその想いだけだった。


 今まで慕い、親愛すら抱いていた相手が己の仇であったのだと、そう告げられた時、ヴェスタリヌの脳髄は思考の何もかもを覆い隠し、そのまま捨て去ってしまいそうだった。それは、とてもとても楽だから。それは、何よりも喜悦に満ちた選択に違いないから。今まで楽な事を、苦しいことを逃れて甘い味だけを追い求めてきた己には、それが似合いだと、そう思った。


 だが、目の前の姉の存在がそれを許さない。


 今までその精神は、どれほどの焦げ跡を残したことだろう。そのねじ狂った境遇の中、何度精神を逸しようと思ったことだろう。分からない、もはや想像を絶するとしか言いようがなく、むしろその精神を慮ることすら不敬に思われる。


 いやそれ所か、今何故、姉様が未だ生きていられるのかが私にはわからない。己であれば、何を考えるよりもまず、全てを投げ出して死に至っていただろうから。


 だが、姉様は生きている。そして、その精神は未だ均衡を保っているのだ。であれば、どうして己が身勝手に精神の健常を手放すことができようか。ヴェスタリヌの瞳が、意志を煌かせて、トルガを貫いた。


「——私はありとあらゆる手段を取りましょう。例えそれが、全ての道に背くことになったとしても」


 毅然と、高らかに、そして何者をの反論すら許さぬというような、強い声。空の青さがにじみ出たような、とても、とても綺麗な声だった。


 その言葉に、誰もが反応を示しながらも、もはや言葉を発することが出来ない。否、その言葉の先にあるものを、誰もが予感しているようですら、あった。


 トルガが、瞳を細め目じりの皺を刻み込みながら、呟く。


「では、やはり此処は、お通しできません……どうか、お引きください、ヴェスタリヌ様。我らが与えられし任は、大罪人ルーギスを捕縛し領主へと献上すること、それのみです」


 恐らく、それが実直なトルガに出来る最大限の譲歩なのだと、ヴェスタリヌには思われた。


 自分たちの任務は、ただそれだけ。此処でヴェスタリヌを捕らえる気はないものの、素直に道を通す事もできない。だから、今は暫し兵を引き、頭を冷やしてくれないかと、そう、告げているのだ。何とも、その性根が優しすぎるトルガらしい言葉だと、ヴェスタリヌは思った。


 だが、それはもう出来まい。此処で退いてしまえば、もはや己が二度と進めないであろうことを、ヴェスタリヌは理解していた。


 そう、思い、声を漏らそうとしたその時。ヴェスタリヌの耳朶を、別の声が打った。紛れもない、己の姉の、声が。

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